saikorohausuの日記

怠惰を求めて

いずれ誰もがPTA そして父の思い出

真偽はともかく、またPTAの話題が上がっていた。

PTAが各戸訪問して寄附の強制がどうのというやつ。

 

我が家も長子が小学生、そろそろPTA活動かと、のろのろと考えている所である。今年の春、学級委員の立候補は踏ん切りがつかずスルーした。

各地で慣習はまちまちとは思うが、うちの小学校は基本、一子につき一回は何か役員やってねとのこと。てことはうちは合計3回ということになる。

児童数に対してポスト足りるんか?ある程度バッファ持たせてんのかな。

気軽に話せるひょんな知り合いでもいないかと、PTA役員一覧を見てみる。当然新参者の私にそんな知り合いなどいなかった。

しかしよく見ると去年と同じ人が同じ役職を連投していたりする。その連投メンバーの中にはボランティアとして色々活動されてる方の名前もあり、もしかしたら引受手が見つかりにくい面倒な役職なのかと勘繰る。それとも、どうせ子供の人数分の年数をやるなら一度やって要領をつかんだ役職を連続したら多少ラクということかもしれない。あ、それいいな。

高学年になるほど重要ポストが割り振られている様子なので、その前に早いとこ済ませてしまうのも手である(2人目以降に備えた内偵も兼ねて)。しかしまだ下の子は子守が必要な年なので活動時に子守がいない場合どうするかの問題もある。

内情を知りたいのだ

私は仕事が在宅でそれなりに調整がきくので、PTAで諸々の作業が生じてもそれ自体は構わないと思っている。むしろ会計とかできるし手足を動かすようなものは全然やるよ?と思う。

ただこういうのって調整とか根回しとかのウェットな所が肝の業務になるんだろうな。明文化されない慣習もありそうだし、中が見えなくてみんな身じろぎしてしまうのだ。

 

とは言っても、うちの小学校は公立の割に比較的まともだと思っている。

例えばタブレット端末で日々の連絡帳の時間割が共有がされるようになったし、ネットで散見される「明日トイレットペーパーの芯を3本持ってきて」みたいなことはまずあり得ない。1週間以上前にお知らせがあった上で、家に無い人は学校で用意するというスタンス。先生方と話していても引っ掛かりはあまりなく、話がすんなりこちらに入ってくる。

地方だけどそれなりに多様性のある家庭が多い地域だからかもしれない。

だからPTA活動もそんな不合理な組織ではないと思いたいのだが!ともかく第一子だとまだ知り合いも少なく、コロナですっかり学校との接点も激減しており実態が見えぬ。

 

自分が好きでできること

話はちょっと変わるが、学校では色んなボランティアを募っている。農作業や庭木剪定とか、工具使えるとか、登下校時間帯の見守り隊とか、授業中のアシスタントとか、得意なことを登録しておいたら必要な時に声がかかるシステムだ。

で、その中で図書室のボランティアというのがあった。実は私以前の転居先で学校図書館のスタッフ業務をしていたことがあり、館内の掃除からブックトークまで一応経験がある。うちの子が本好きというのもあり、やってみようと思い立った。

これなら単純に自分の「好き」と、子供のため、という気持ちでやれる。

それにまずはここから始めたら、学校内の様子が少しは見えるかなと思っている。先生たちとも話したいし、子供が過ごす環境を良くしたいしね。

さらに、ちょっと悲観的な理由を言うと、末っ子が元気で生活している今しか上の子たちの教育環境に関わっていく活動なんかできない、という気持ちもある。

 

話は飛んだがこれをとっかかりにPTAの運営についてもちょくちょく様子を窺っていこうと目論んでいる。

蛇足~小学生時代の記憶~~<

じゃあ私が小学生のころ、両親はどうしていたんだっけと思い起こす。

両親は自営業で、授業参観や親子行事の類はほぼ全て、父が仕事の合間を縫って参加していた。これは単に娘を溺愛していたからだと思われる。

そういえば父はPTAの会長もやっていた。ちょくちょくほかの役員も引き受けていたように記憶している。

当時としては父親が参加というのはかなり珍しかったのかもしれない、

花壇で作業中の校長先生に突然呼び止められて「そうか君が〇〇さんとこの子か、そうかそうか」と頭をなでられたのを覚えている。軍手で。

でもいつも作業着で優しい校長先生だったので、うれしかった。

あるとき父はどっかから大量の竹とパン生地のようなものを手に入れて来て、学校の親子行事で竹工作遊びを主催していた。図工室で2時間、みんなで汗かきながら工作して、すっごく楽しかった記憶がある。何を作ったかちっとも記憶にないが、時間は飛ぶように過ぎた。

パン生地は学校では焼けないので、確か切った竹を持ち帰ってそれに巻いて焼いてもいいし、トースターやフライパンで焼いてくださいねということだった。ほんのり甘くて大変おいしかったのだが、この前母に聞いたら覚えていないらしい。

 

さて、そんな父は娘から見る限り、コミュ障の元ぼっちである。

今でも空気読むなんて全然できないし(本人は頑張っているのは分かる)、子供時代から大学生時代までの昔話で「ともだち」という単語は聞いたことがない。写真は学校の集合写真しかない。眉の下がった気弱そうな学生が写っている。

おそらく人付き合いの苦手な父がPTAに立候補したのか押し付けられたのかは知らんけど、色々尽力してくれてたのはありがたい話だなと親となった今思う。